静岡時代の営業活動。

こんばんは。

今日は、140年ぶりの部分月食です。
98%欠けるようです。
スマホのカメラのズーム機能を確認しましたが、ありませんでしたので、写メは断念。
帰る車の中から三日月のような満月がありました。
静岡時代は日食があり観察したことがありました。とても眩しいでした。

さて、毎日居酒屋さんでビールを飲みながら常連さんなどと楽しくしていましたが、仕事はきちんとしていました。たぶん?

静岡市に住んで出張所がありましたが、私の担当は静岡市以西でした。
ほぼメインの得意先は浜松市にありました。
東名高速で得意先まで行っても85kmで1時間半程度掛かりました。
特に浜松インターが渋滞するので、渋滞が発生する前に抜けなければなりません。
そのため、自宅から直行していました。
朝6時前に出発。営業車とラジオを付けると
ナショナル提供の「歌のない歌謡曲」をやっていました。その頃普及したホームベーカリーのコマーシャル「朝だ、食パンが焼けている」が流れていました。

ただ、その時間に出ると得意先がまだ営業してなく困った記憶があります。
その頃は〔夜討ち朝駆け〕ということばが営業マニュアルに載っていた時代です。
時代は変わったものです。
ブラックな会社でした。今は大丈夫です。

毎日、200km程移動しての営業は、今思うと無駄が多いです。でもその時は当たり前と思っていました。

現在は勤務の前の日はアルコールは飲みませんが静岡時代は毎日飲んでいて飲酒運転していたかもしれません。

今日は、ここまでとします。
また、静岡時代の思い出を書きます。

明日は、6時前に弟が迎えに来てくれます。吹田に補聴器をもらいに行ってきます。

楽しい週末をお過ごしください。